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忘れてないよ とまったままだよ
そこにはもういないとしても
祈りたい
けれど祈るあてを持たない
わたしはわたしに祈るしかない
誰か代弁して
わたしの声じゃ届かないから
誰か代弁して
私の声をかき消すように
***
原発非難区域内の家畜農家の現状を伝えるニュースは
最近見たなかでももっとも居た堪れないものだった

ふじの花棚が満開
手前のクリーム色の木香ばらも満開
日々、新緑がまぶしい
最近うちでいちばんホットな話題はメジロ
巣をつくって卵をあたためている
私が小学校入学祝いに弥彦神社でもらってきた記念樹に巣をかけるあたり
なかなかお目が高い、とひとりごち
東京新聞で連載中の「親鸞」が毎日楽しみ
いま親鸞が越後の国(現上越市)に流されている時代をやっていて
念仏は呪文や祈祷の類とは違うのだということをなかなか一般の人たちに
わかってもらえなくて葛藤しているところ
原発関連のニュースを読んで、親鸞を読んで、最後はちびまるこちゃんで〆る
実家に帰ってからなぜか新聞づいている
ひかえめな友達が―私も聞いた話だから本当かどうかはわからないんだけど と前置きして、白樺がなんで白いのかというともともと日照の少ない地域が原産の木で、限られた時間に限られた量しか浴びることのできない太陽の光をお互いが反射し合って効率よく光合成できるように白く進化したのだ、という話を聞かせてくれたこと、本当かどうかわからなくても心に染み入るものがある話だと思って聞いたことをふと思い出した。
震災について思うことはみんなヒッキーが書いてくれた。
前に暮らしていた町は都会に比べて色んなもののリズムが自然に則していた。そのぶん退屈で個人を主張するには居心地がわるいところもあったし、人間の身の丈ってものをいちいち思い知らされる環境だった。身の丈を知って慎ましくあることと新しい可能性を求めることと、その天秤はいつも心の中で揺れ動いている。
東北の人たちはどちらかといえば白樺のような暮らしをしていたのではないかと想像する。三陸海岸は山陰海岸と並んで私の2大憧れ景勝地。どちらもまだ訪ねたことはない。一日も早い復興を願います。

ひさしぶりの更新になりますが、元気です。
雪国を離れて富士山が見える町で暮らしています。
今日は夕食時に計画停電だったのでキャンドルを灯して食卓を囲みました。
家族と電気と、普段当たり前に与えられているもののありがたさを実感する日々です。

木の葉が枯れ落ちて 後に芽が吹くのではない
下から芽が吹くのに耐えかねて葉が落ちるのだ
という内容の一節が徒然草にはあるらしい
(らしい、というのはつまり私は徒然草を読んだことはないということです)
変化はいつも目に見えないところですでに始まっている
冬は峠を越えた
雪解けは近い
春はたぶんもう来てる
そして私の雪国生活も残すところ2週間となりました
春からは新しい生活が始まります
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
good bye
そう、たぶん全ての別れに祝福はある